私はテレビの断捨離を約18年間やっています。人生のほぼ半分、テレビを見ていません。しかし、それで特に不便だと思ったことはなく、かえって自由な生き方になったと感じています。
この記事では、私がテレビ断捨離を始めた理由や実際にやってみてどう人生がどう変わったのかについてお話ししたいと思います。
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なぜ、テレビの断捨離を始めたのか
私がなぜ、テレビを断捨離しようと思ったのか。そのきっかけは、大学1年生のときにある寮に入ったことです。その寮にはテレビはなかったので、自然とテレビを見ない生活が始まりました。
そして、そのころ、大学の勉強とサークル活動に夢中で、とてもテレビを見る暇もありませんでした。
最初は、こんな生活おかしいのかなと思った時期もありましたが、慣れれば違和感はなくなり、それが自然になりました。
幸い、友人にも恵まれ、テレビを見ていないからと言って仲間外れにされたり、会話の話題についていけないということもありませんでした。
こうして、些細なきっかけから、私のテレビ断捨離は始まったのです。
インターネットの普及がテレビの断捨離を加速させた
私のテレビ断捨離を加速させたのが、当時普及し始めたインターネットというものでした。
私が大学に入学したのがちょうど2000年。
当時はWindows 95が主流で、大学生にとって、パソコンはとても高価なもので、所有することがまだ簡単ではない時代でした。
インターネットを使おうと思ったら、大学の図書館かパソコン室に行くか、または自宅でダイヤルアップ式のインターネットを接続するしかありませんでした。
そんななか、私の下宿にインターネット回線が開通することになり、それで私はインターネットを使うようになりました。
インターネットを使い始めると、それはとても便利なことに驚きました。YahooやGoogleで検索したり、パソコンでメールを送ることも、当時の私にとってはとても画期的なものだったのです。
それから私は徐々にインターネットを使って情報収集を行うようになりました。
テレビを見たいと思ったときはなかったのか
テレビを断捨離してから、テレビを見たいと思ったときがなかったのかと言えば、正直ありました。
それは、サッカーのワールドカップやオリンピックなど、主にスポーツのリアルタイムの中継を見たいときです。そういうときにはよく友人の家に遊びに行って見たりしていました。
まあ、最近ではこうしたスポーツ中継もよくインターネットで見れる時代になってきたので、本当に便利になってきましたね。
あと、私はテレビドラマは見ない派でした。中高生のころはいくつか見たこともありますが、基本的に恋愛ドラマが多いのであまり関心がありませんでした。
なので、ドラマを見たいと思ったことはありません。また、音楽番組にもそれほど関心がありませんでした。
このように、そもそも見たいテレビ番組がほとんどなかったというのも、テレビの断捨離を続けられた大きな要因だったかもしれません。
現在、我が家にあるテレビの使い方とは
私がテレビ断捨離をしているにもかかわらず、実は我が家には今、テレビというものが存在しています。
妻と結婚した後、義理の父がうちに遊びに来たときに、テレビがないことに驚き、うちにテレビを買ってくれたからです。
それ以来、我が家にはテレビがあります。しかし、私はテレビをほとんど見ないし、妻もそれほどテレビを見るタイプではありません。
では、我が家のテレビは何に使っているのか。それは子どもたちの教育のために使っています。
教育と言っても、ただテレビを見せるのではありません。よいテレビ番組を録画して子どもたちに見せてあげるのです。
例えば、自然をテーマにした番組や比較的教育にもよいと思うアニメ番組などです。うちの子はNHKのEテレのアニメ番組が好きなのですが、アニメ番組も何でも見せるのではなく、夫婦で何を見せたらいいか話し合ってから見せるようにしています。
あまり暴力的なものだったり、表現が行き過ぎていると感じる作品は見せないようにしているのです。
あと、何か自然災害などが起こったときの情報源としてテレビのニュース番組を見ることはあります。こちらは大人がテレビを見るときの使い方ですね。
なので、うちでは子どもたちが好きなものを見せるのではなく、親がある程度コントロールして見せるようにしているのです。
うちの子は長男がまだ5歳なので、これから成長していけば、テレビとの付き合い方も当然変わってくるとは思います。
しかし、それでもテレビ番組を何でも見放題という生活にはならないように気をつけたいものです。
まとめ:テレビの断捨離は必要か?
最後に、テレビの断捨離は必要かということを考えてみましょう。
結論から言うと、テレビ断捨離は必要ないです。
というか、ここでテレビ断捨離をしましょう、ということが正しいことだと思えません。なぜなら、それは人の考え、さらには生き方によって変わるからです。
私の場合はたまたまそういう環境が与えられたので自然とテレビ断捨離が始まりました。そしてそれを続けられる要因もいくつかありました。
そして、今、私はまったくテレビを見ていないかと言うとそうではなく、先ほども挙げたスポーツ番組やニュースなんかは見たりしているわけですね。
だから、完全に断捨離したというわけではなく、むしろ「ゆる断捨離」と言った方が正確な表現なのかもしれません。
けれども、一つ言えるのは、テレビの断捨離が私に与えてくれたものも大きいということです。
例えば、テレビを見ないことであまり世の中の流行やワイドショーの情報などに振り回されなくなりました。また、子どものころは何となくテレビを見せられているという感覚があったのですが、今ではその感覚がなくなりました。
かえって、自分がテレビを見るという行為を選択しているという感覚です。このちょっとした感覚の違いが、自分が人生を生きているという実感を与えてくれています。
これはテレビだけに限らず、すべてのものに当てはまると思います。便利なものにこそ、自分を囚(とら)われないことが大切です。
特に、今の私にとっては、インターネットというものが今後注意すべきものだと感じています。
なぜなら、私はテレビはほとんど見ませんが、インターネットはほぼ毎日見ているからです。スマホを持つようになってからは、スマホでもパソコンでも毎日欠かさずネットは見ています。
ですから、今後はインターネットとの付き合い方が私のテーマです。これは非常に困難なテーマですが、大切なことですので、また機会があればお話ししたいと思います。
以上、テレビ断捨離18年、始めた理由とテレビ断捨離で変わったことについての記事でした。今日も読んでいただき、ありがとうございます。
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